最近は技術書だけではなく、さまざまな書籍を読むようになりました。
今回はヴィクトール・E・フランクル著の「夜と霧」を読みました。今更、自分が紹介するまでもなく名著して語り継がれている書籍です。著者のフランクルが第二次世界大戦渦にて、ユダヤ人してアウシュヴィッツに収容された経験を元に「人間とは何か」というテーマとなっています。
フランクルは精神科医であり、心理学の分野では「ロゴセラピー」という心理療法を確立しました。
簡単にいうと「なぜ生きるのか」という理由を充実させることで、メンタルや心の病の解消を目指すという療法だそうです。フランクルは自身の収容所体験からロゴセラピーの考えに至ったそうで「夜と霧」の中でも、後にロゴセラピーとなったであろう出来事やフランクルの思いが各所に現れます。
人はなぜ生きるのか
わたしたちが生きることからなにを期待するのではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ
第二段階 収容所生活 「生きる意味を問う」より引用
子供の頃からよく「なぜ人は生きるんだろう」と考えていました。 何をしても意味がない、何の成功もしていない自分が嫌で嫌で、なぜ自分は生きているのかと今も同じように悩む時があります。しかし、フランクルから言わせれば「なぜ人は生きるのか」を考えても、答えはでないので、あらゆる場面で「君はこの状況で、どうする?」と問われていると考えて、とくかく行動して答えを見出すべし...とのことです。
苦しみや困難は自分にしか取り除くことができず、誰かに肩代わりしてもらうことはできません。自分自身が苦しみや困難に向き合うことが重要であり、フランクルはアウシュヴィッツでこの考えなしでは生き抜くことができなかったそうです。
と言われても...
「苦しみや困難に向き合って行動せよ」と言われても「いやいや、そんなの自分には無理だよ...」というのが正直な気持ちです。
こんな自分のような人間は、未来にあなたを待っている何かがあることに気づくことが重要だそうです。それは人でも物でも名誉でも何でも良くて、何かが待っていると気づいた人は自分が生きる意味が強くなり、どんなことにも耐えられるようになるとのことです。
とりあえず「なぜ人は生きるのか」と答えのない疑問を考えることはやめて「自分を待っているものは何か」を考えてみようと思います。
人にとって何が一番辛いのか
https://www.pexels.com/ja-jp/photo/236151/
アウシュヴィッツでの収容所生活において、収容人たちにとって一番辛かったのは「期日が定まっていないこと」だと多くの収容人が口を揃えて言っています。 ある年のこと、クリスマスが終わった後に突然、多くの方が命を落とされたというエピソードが本書で紹介されています。多くの人がクリスマスまでには状況がよくなり、家族と穏やかな時間が過ごせるのではないかと期待をしており、それが叶わないと分かった瞬間に免疫力が低下してしまったそうです。
「いつまでこの日々が続くのか...」という不安が人を弱くするというのには非常に納得できます。
仕事でも辛いことが一発あるよりも「何のためにやってるんだろう...」という期間が長いほうが確かに辛いです。当時のアウシュヴィッツの収容生活と比べて遥かに豊かな生活をしているいるにもかかわらず、自分が仕事を通じて、幸福を感じることができない理由が分かりました。
最後に
いかがでしたでしょうか。
今回はフランクル著の「夜と霧」について書評をまとめました。ちなみに「夜と霧」とタイトルはナチスが「夜の間に霧の如く、ユダヤ人を拘束せよ」という作戦名にちなんだものです。
かなりショッキングな事実が書かれており、これは現実の出来事だったんだろうか...と衝撃を受けました。
しかし、フランクルが記載しているように、ただの体験記に終わらず、そこから心理学の一分野への昇華がされており「人はなぜ生きるのか」という問いに悩んでいる人には、ぜひ読んでほしいと思える一冊です。
少しでも「ええな〜」と思ったらイイネ!・シェア!・はてなブックマークを頂けると励みになります。